モンタージュ
モンタージュとは組立てることを意味するフランス語から来ていますが、今日では世界共通語になっています。モンタージュの観念を映画に導き入れたのはまずフランス人で、映画の画面をたくみにつなぎ合わせることによって画面にリズムをあたえる技術をモンタージュだと考えました。尺数の長い面面の連続はだいたいにおいて緩やかなテンポのリズム、反対に短い画面のめまぐるしく変るつなぎ方は急激なリズムを生む、と主張されて、劇的なクライマックスには後者の方法がとられました。アベル・ガンス監督の鉄路の白薔薇がそのような実験の最初の代表作として知られます。このフランス式の考え方を機械的形式的と批判し、その上に立って、新しい社会主義思想の裏づけを施したのが10月革命直後に生まれたソ連のモンタージュ理論でした。レフクレショフ、ティモシェンコなどの映画監督がまずフランス映画やアメリカ映画ことにD・Wグリフィスの作品の構造を分析し研究して、モンタージュの意味を明らかにしようとしましたが、それをさらに発展させ高度にしたのは、プドフキンとエイゼンシュティンの二人の名監督でした。プドフキンは、一つ一つの単語を組合わせて文章をつくるように、個々の画面を組合わせてつくられるのが映画であり、よって映画は撮影されるものではなく、組立てられるものだと言いました。単語が本来持っでいる意味は極めて眼られた単純なものであり、前後と関連した文脈の中で豊かになっていくのと同じく、画面はモンタージュによってはじめて生命を帯びてきます。プドフキンは映画監督と脚本論の中で、この主題を具体的に、かつ詳紬に論じたがその過程でエイゼンシュティンとの有名な論争が起こりました。それはプドフキンの考えでは、モンタージュは個々の画面をそれぞれ同じ権利を持った単位として、煉瓦と煉瓦のように並列的にあつかわれているのですが、エイゼンシュティンは、画面とそれと対立する他の画面との矛盾によって新しい意味を生みださせるのがモンタージュの真の役割だと主張しました。

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