文化映画・産業映画
文化映画は戦後は教育映画の名で呼ばれていましたが、戦前は文化映画と呼ばれた記録映画の一種で、第一次大戦後の1920年代にドイツの大製作会社ウーファ社の一部門で作られたクルトゥーア・フイルムの訳語です。ドイツの文化映画は一種の社会教育映画で、記録映画の手法を用いて森の野烏の生態を撮って解説したり、薬品と人間生活の関係を分析したりして、純粋に教養的なものであったが、1933年ナチが政権を執ってのちは、伝統あるウーファ文化映画もナチの政治的宣伝の色彩を濃くしていきました。例えばナチ政府の作ったことで有名な自動車道路の映画などが出ました。日本でも第二次大戦前に映画法が施行されたとき、条文に文化映画奨励の一項自を設け、映画常設館は番組の中で劇映画以外に必ず文化映画を一木を上映することを義務づけた為に日本でも戦前から戦時中にかけて大小の文化映画プロダクションが数百を数えるくらい乱立し、争って短編記録映画を作ったものでした。ドイツのウーファ文化映画は元来は科学的な点に特色がありましたが、戦前戦中の日本の文化映画では科学主義は希薄で、佳作としでは、小林一茶のように信濃風土記的な短編や、或る日の干潟や土に生きるのようなものがあります。どちらかといえば詩味のある情操教育的なものに特色を見出しました。社会分析的なものや科学的に自然現象を分析し解説するものなどはよくありませんでしたが、むろん戦時中ば落下傘部隊の活躍を描く空の神兵やその他、蘭印探訪記、起ち上る泰のように軍事的なものや、啓発的あるいは情報的なものも多量に作られました。
戦後は企業会社あるいは、その連合体がスポンサ−となって、事業のPRの為あるいは困難になった若年工獲得の求人の為、企業を印象づける短編映画を作ることが盛んになりました。これらの映画を総称して産業映画と呼んでいます。しかし、一口に産業映画と言っても、その質的面から見ると様々のものがあります。例えば日木造船工業会が岩波映画に委嘱して作ったシップヤードの青春などは造船界に働く若者の姿を浮彫りし、企業そのもののイメージを観る人に強く訴えるものですが、製薬会社がスポンサーとなり、東京シネマに作らせたミクロの世界やガン細胞などは、企業のイメージを訴える産業映画というよりも、むしろ科学映画の名で呼ばれるにふさわしく、また世界的名声を馳せたのでした。したがって、これらの作品は一般向きの社会教育を旨とする科学映画で、狭い意味の産業映画とは言い難く、その他、産業会社がスポンサーになって作るもので、むしろ学術映画もしくは教材映画と呼ぷ方がふさわしいものもありますが、企業体がスポンサーになって作る産業教育映画こそ純粋の産業映画と言えます。

家を建てるとお金を借りる
家を建てる総費用のうち、金融機関でお金を借りる住宅ローンで賄えるものは土地と本体工事と別途工事費の合計額の約8割までで、残りの2割と諸経費は自己資金が捻出することとなります。しかし、最近の調査によると、家が完成してみたら予算よりも100万円以上オーバーしていたという例も少なくはないようで、家計の見直しが必要とされる必要が生じてくるようです。このような予算が足りなくなる原因には次のようなものがあります。
内容を詰めずに契約し、すぐ着工したために途中で間取り設計や設備の変更、追加、別途工事が生じてしまった。諸経費に見落としが多かった。家具や備品などの自分で購入するものが増えてしまった。田舎暮らしなのでライフラインの設備に費用が必要だった。住まいができてからは。お金を借りるローンの融資額を増やすことはできません。工事計画を吟味して納得してから契約し、直接間接にかかる諸費用も落ちがないように細かく調べて実際に必要なお金をチェックしましょう。
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