相克のモンタージュ
エイゼンシュテインは、モンタージュを弁証法の適用と考え、それを構成する各画面はモンタージュの細胞であり、その細胞は、たがいに矛盾し相克するのが本質だと説きました。映画が、無声の時代からトーキ−に移る重要な過渡期が1930年前後でしたが、この時に右の理論が大きな教訓の役割を果しました。トーキーとは映画にただ音響が付け加えられたという科学的現象にとどまっていてばいけないので、画面と音響とを2つの別個の単位と考え、その相克によってまったく新たに高次の音画という芸術創造するのが正しいという予言的な見解を示し、音響はちょうど音楽の作曲法におけるコントラプンクト、対位法のように使用されなければならないことを、プドフキン、アレクサンドロプとともに3名の連名による1928年のトーキー宣言で唱え、これがその後、今日に至るまでのトーキー理論の基本になっていました。

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